Y君が、私のところにやってきたのは、幼稚園の年長のときでした。
遊ぶと一人で盛り上がり、スーパーに行くと急に走り出してどこかへ行ってしまう。
小学校に入っても、授業中立ち歩いたり、友達とケンカが絶えませんでした。
友だちが欲しくても友だちができないY君。
中学は、受験して私立中学に入りました。
バスケット部に入り、友だちが作れると、Y君は嬉しくてLINEを打ちまくりました。
でも、あまりに打ちすぎて、LINE仲間からうざいと言われ、そのLINEから外されてしまいました。
勉強も進度が速く、宿題が多くため、集中できないY君は宿題をこなせません。
勉強の意欲がすっかりなくなってしまいました。
バスケット部でも、ひとりぼっち。
誰も相手にしてくれません。
しだいに、Y君の言葉が荒れてきます。
家で、お母さんが何か言うと
「おい」「こら」「てめえ」
というようになりました。
Y君は、学校に行かなくなりました。
家では、ゲームとyoutubeのみ。
お母さんが、ゲーム機を取り上げたら、刀で壁を叩き、ぼこぼこにして、
「お前を殺すぞ。」
と、首を絞めるふりをしました。
「どうせ、おれなんか障害児だ。生きている意味ないんだ。」
と叫んだY君。
家から出なくなったため、毎週私の外来に来ることにしました。
最初は、私の外来に来てくれていたのですが、
昼夜逆転してしまったY君は、
「誰にも会いたくない」
といって、まったく外に出なくなり、外来はお母さんだけになりました。
私は、お母さんの話を聞いてあげることしかできません。
でも、お父さんはいろいろ努力して、休日に、一緒に映画に行ったりして、Y君はお父さんには心を開いていました。
中学2年になり、お父さんが、車で送って何とか学校に行くようになりました。
授業は出るけど、宿題はいっさいしません。座っているだけで精一杯のY君。
中学は、毎日、補習、補講があり、全ての点数が張り出されます。
クラスの同級生の中には、
「あいつはバカだ」
と陰口をたたく人もいます。
「ぼくには友達がいない。」
というY君は、夏休みも一人ぼっち。
気分転換のためにと、オーストラリアの短期留学に行ったY君は、日本に戻ってから、変わりました。勉強をやるようになりました。
でも、数年のブランクはやはり大きく、勉強はついていくことはできません。
学校は、行ったりいかなかったり。
午前3時までゲームをしているため、学校に行っても、授業中、ずっと寝ていました。
席替えがあったら、「お前の隣イヤ」と露骨に言われてしまったY君。
学園祭でも居場所がなく、一緒に回る友だちがいません。
結局、お母さんと二人だけでまわりました。
高校をどうするか悩みましたが、
「残れるものなら残りたい。」
というY君の意思を尊重し、高等部に上がりました。
高等部でも、成績は相変わらずでしたが、友だちができました。
一緒に街に出かけたり、カラオケに行ったりしました。
学校が少しずつですが、楽しくなってきました。
高校2年は、何とか上がれました。
でも、成績は振るわず、赤点が増えていきます。
それでも、学校は休まずに通うようになりました。
そんなとき、突然不幸が訪れます。
Y君の最大の理解者だったお父さんが、急逝しました。
失意の中、高校の三者面談では、留年するか、高校を変えるかと言われてしまいました。
どん底まで突き落とされたY君。
通信制の高校に変えましたが、ほとんどベッドに横になったまま。
部屋から出なくなりました。
食事も1日1食。納豆ご飯だけです。
そんな状況でも、外来に来てくれるY君。
私が、Y君に、将来何をしたいかと聞いたら、「大学に行きたい」といいました。
お母さんは、高校と相談し、大学の資料を取り寄せ、面接と小論文で受験できる大学に願書を出しました。
受験当日、お母さんは、車でY君を連れていき、なんとか試験を受けることができました。
そして、合格しました。
合格してからY君は変わりました。
高校の卒業式に出席し、同級生と遊びに行きました。前の高校の友だちともカラオケに行きました。
大学では、アカペラサークルに入り、カラオケに行って、友だちと歌っています。
お姉ちゃんとけんかしたときに、
「僕は、コミショウだから、友だちを作りたくてもできないんだ!」
と叫んで、小学校からの苦しかったこと、つらかったことを泣きながらぶちまけたY君。
友だちとカラオケ行くのは、
「歌うって、あまり会話しなくていいから楽。」
ということでしたが、
最近は、
「歌って、コミュニケーションのネタとして、使えるようになってきた。」
ということです。
学園祭では、アカペラコーラスの発表もしました。
大学も、順調で、外来は今日で卒業です。
天国のお父さんも、笑っていることでしょう。
(紹介にあたり、承諾をいただいています)
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